健康診断に行ってきて、思った事などをつらつらと。
健康診断に行ってきた。
午後からの健診だったので、朝起きるまでは飲食に関して何も気にしなくて良かった。先週末アルコールで派手にやらかしたのでアルコールを飲まないのも苦ではなかったし、本当に何も気にしなかった。午後からの検診っていいな、と思っていたのだが、朝から何も食べずに午前の仕事をするのは多少きつかった。
私は、朝ごはんをきっちり食べるほうではないので大丈夫だろうと思っていたのだが、出社してからコーヒーが飲めないとかが思った以上にきつい。コーヒーといってもいつもブラックなのでカロリーはないし何も変わらないだろうと思っていたのだけど、そんなことはなく、カフェインで眠気を飛ばしていたんだなぁと気付く。あと、なんやかんや現場には差し入れのお菓子とかがあり、無意識に手を付けていたんだろうなぁ。昼をコーヒーでつないでとかで、とかもしょっちゅうしている気がしていたので、昼抜くくらい問題ないだろうと思っていたのだけど無意識になんか口にしていたのだ。そら体重減らんわ、と再認識。無意識に食べるくらいならきちんと食べたほうが体にもいいんだろうな、とも思う。結局、何がきついかって大したことではなくっても「禁止」されることなのだろう。無意識の行動を自戒する。
当初、会社負担+αで人間ドックにかかれる年齢になったので、人間ドックにかかろうと思っていたのだが、バリウムを飲みたくないとか、いつ受けに行こうとか、現場とどう調整しようとかを悩んでいるうちに退職の時期が迫ってきてしまった。結局、人間ドックはあきらめて、健康診断とオプションでいくつかの検査を受けることにした。
総合健診センターは、ロッカールームとカルテが紐づけられていた。ロッカールームのカギのバーコードを読み取ってから検査を受ける仕組みで、検査の間違いがない仕組みになっていた。また、各検査の待ち時間もシステムで管理されていて、待ち行列としてシステムで管理されているようだが、運用は多少アナログな感じで「勘」も使って運用しているのではないかという気がした。こっちの検査に並んでたけど、あっちの検査が空きそうなのでと言われて並びなおしし、そのあとやっぱり進まないので先にこの検査を先にしましょう、とか。考えてみると問診とか質問の多い人もいれば少ない人もいるだろうし人の状態によって検査時間もまちまちなのだから、その運用で正しい気もしてくる。
そんな感じだったので、思ってたほどではないにしろそれなりに待ち時間があった。本を用意していたのだけど、周りを見るとぼーっとしたり、備え付けの雑誌を読んでいたりしていたので、わざわざ準備してこないほうがよかったな、と思った。自分が自主的に手にしないものを手にした方がきっと面白い気がする。
備え付けの雑誌を読むのも癪だったので持ってきた本を多少は読んだが、ほぼほぼ、ぼーっとして過した。
いつもぼーっとはしているので「自主的に手にしないもの」では決してないが、この空間でぼーっとするのは滅多にないだろう。というか、頻度が高くなるのは嫌だ。
ぼーっとしながら、先ほどの採血を思い出す。
いつものように「採血で気分が悪くなったことはありませんか?」と聞かれた。
いつも、私は笑って間を少しごまかしてから「あります」と答えた。
私は、採血が苦手なのだと思う。
固太りで血管が細く(特に冬!)、血管が出る場所がひじの内側の中央でなく側面で、少し痛みがでやすいところらしい。採血に不向きな体なのだろう。実際に、大学生の時に献血センターに行ったとき、献血前の採血で、比較的血管が出やすい左腕を献血用に取っておくため右腕で採血しようとしたらうまく血管に刺せなかった。見てしまうと緊張するのでいつもは刺すところを見ないのだけど、さすがに気になってしまった。ちょうど刺した針で血管を探っているところだった。さーっと青ざめてしまい気が付いたらベッドにいた。それから一度は献血にチャレンジしてみたけど、冬だったのもあり血管が細くなっているからやめましょう、と断られた。
「血を抜こうとすると人に迷惑がかかる」とその時のことを思い出し、看護師さんの定型の質問に笑って間をごまかしてしまう癖がついてしまった。会社での集合健診の時に安全のためにベッドで採血してもらったのだが、それを見ていた同期に何気なく言われたことも芋づる式に思い出してしまう。
清潔な健診センターで非日常な空間だったのと、こんな風にゆったりした時間を過ごせるのもいいなぁとぼーっとしながら思っていたのだが、体が悪くなって、毎日採血をする生活になるのは嫌だな、と思いなおした。
そう思った瞬間、母のことを強烈に思い出した。
思い出したことを契機に、そういえば彼女は何歳で亡くなったのだろう、とかの質問まで浮かんでしまう。
情報整理の結果、彼女は今の私と同じくらいの歳から入退院を繰り返していたんだ。と分かった。
幼いころは認識してなかったけど(大人のものはなんだってでかい!)、大人になって家を改装するときにクローゼットの奥底から出てきた母の靴は、とても小さかった。私も母親ほどではないが足は小さいほうなので、体質も似てたんじゃないかとか思ってしまう。彼女は毎日のように腕に針を刺され採血をしていたんじゃないかと想像してぞっとした。それ以上の痛い思いをいっぱいしたのだろうから、採血なんて大したことではないのかもしれない。けれども。。。
想像できない痛みより、想像できる痛みの方がより現実的で、それを思うと、少しばかりは体に気を使ってもいいな、と思えた。
正式な結果は出てないけども、オプションで付けた検査を受けての問診で知りたくないことも知ってしまった。緊急性はほぼほぼない状態だけど念のため、とのことでもう少し検査しなさいとのことだった。
あーーー、また病院行かないといけないのか嫌だなー、知らなければ緊急性はないけど検査しろと言われることもなかったのだからオプション付けなければよかったのではないか、と思ったことを反省した。
そして、私自身が私自身の検査結果について聞けている今の時代を、素直に喜んだ。
この歳になっていまだに実家に頼ることもあったり、まだまだ一人前ではないけど、一人身になって、一度は家を出たのだから自己完結しなきゃな、とは思っていると、むりだなー、一人でなんて生きていけないなー。と、今の時代の、現実のハードさを呪うことも多々あるけども。
母は、彼女は。。。
自分の病名を死ぬまで知らなかったのだから、それを思うと今の時代の方がよりよいと思う。
それと。
3時間くらいを健診センターで過ごして。全員女性の空間(おそらく!)で過ごして。サバサバしてファンキーな女医さんと話したり(だって、婦人科の先生なんて、まあ、気になるのは仕方ないけど、私ならこれくらい気にしないけどね!とか言い切っちゃってて、話していて大変気持ち良かった)、女性として今生きるのは結構イージーで楽しいんじゃないか、と思ったり。私自身も大した事はないけど要検査となるはずの問診結果とかも、ニコニコと「そっかー」くらいの気持ちで聞けた事とかも。私が私でよかったな、と改めて。
うまく言葉にできないけど、何にも持たない自分が結構好きだと思った。もうちょっといたわってあげても良いかもしれない。
彼女が元気だったのは私の歳までか、とか思うとちょっとキュッとなる。
彼女へ。
私はあなたとコミュニケーションを取るのが苦手だったけど、きっと好きだったよ。
数年前まで嫌いと公言しててごめんね。だって、あなたも私のこと苦手だったでしょう。それは仕方がないこと。
あなたの大好きだったけんちゃんは、あなたの遺言を守らずに独り身を通したよ。ところどころ彼女はいたっぽいけどね。
あなたも元気で。幸せな時を過ごせますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントをどうぞ